東洋軒の歴史

東洋軒の歴史

東洋軒の創業は明治22年(1889)、
伊藤耕之進が『今福』の名で三田四国町に開業したのが始まりです。

明治30年、伊藤博文や歴代の閣僚の薦めもあり、「今福」の隣に開業したのが「西洋御料理 東洋軒」でした。
初代社長の伊藤耕之進は才能ある料理人を雇い入れ育成に努め、東洋軒から優秀な料理長を多く輩出しました。
当時は東洋軒、精養軒、中央亭などが日本の洋食文化の草分けで、その中でも東洋軒は宮内省御用達として皇居内の晩餐会等出張しておりました。
初代料理長は北垣栄七郎、二代目は小笠原平左衛門、三代目は天皇の料理番で有名な秋山徳蔵、四代目が大平茂左衛門でありました。
また、日本で初めてクリームコロッケを発案し、銀座資生堂パーラーの料理長も務めた高石鍈之助などの諸先輩方も東洋軒出身でありました。

東洋軒の歴史
東洋軒の歴史

津の東洋軒初代 猪俣重勝は大正13年より東京丸の内日本工業倶楽部調理部入社、後に東京芝区東洋軒本社入社。
昭和3年川喜田百五銀行相談役と時の宮田貴族員議員の薦めにより県下初のビルディングであった百五銀行の4階に「東京東洋軒」出張所を開設。
猪俣重勝は昭和5年から東洋軒東京本社から津の料理長として赴任、地元の人々に洋食文化の普及に努めました。
県下に西洋料理文化を普及した功績により、晩年勳六等単光旭日章を授章しました。
戦後昭和25年、本社からのれんを戴き独立。昭和26年秋、天皇陛下関西御巡幸、三重県下御視察の際は、料理責任者として奉仕いたしました。
昭和30年現在地に大正時代の建物である百五銀行伊賀上野支店を移築し今に至ります。現在、三重県津市に本店を構え、唯一東洋軒の歴史と暖簾を受け継ぐレストランとして盛業しています。

Page top